「尽くす」という行為は 相手のためにしているように思える 

「尽くす」という行為は

相手のためにしているように思える

しかし、よく考えると

それは自分がしたいから

していることなのである

宇野千代さんの言葉です

一般的に解釈されている「尽くす」という行為は

よい行動のように聞こえますが

実は自己犠牲的な行為であり

ひとりよがりな行為です

なぜかというと

主語が自分であり相手ではないからです

主語が相手であれば

相手がしてほしいことや

相手のためになることが前提になります

相手がしてほしいこと

相手のためになることで

自分が手伝えること

それが相手を主語にした行為です

その反対が自分を主語にした行為ですが

これはまわりとか相手に関係なく

自分がしたい行為ですので

対話するのは自分の心だけでいいわけです

ですが少し考えてみると

ひとりよがりな行為を

自分が受け取る相手だとしたら

どうでしょうか

気持ちはうれしいんだけどと思ってしまい

相手の気持ちほど

自分に気持ちが届かなかったり

また客観的に考えてみると

尽くした力と相手の反応の

バランスがとれていないと感じませんか?

そしてさらによくないことに

ひとりよがりな人は

思考がひとりよがりなわけですから

尽くしたわりに反応がイマイチだと

こんなに尽くしているのにと

相手を責めたり

かわいそうな自分と思ってしまうものです

尽くすという行為は素晴らしい行為です

そして尽くすことによって

お互いの関係が深くなるのも

うなずけることですが

それはあくまでも

相手が望んでいるかどうかが

重要なポイントになります

では相手のことを

知ろうとするにはどうすればいいか?

それは自分自身をまずは知ることです

他人の顔色や世間の常識ばかりに

耳を傾け生きてきた時間を

少しづつ少なくして

自分の声に耳を傾ける時間を

少しづつ増やしていくことです

他人の顔色や世間の常識を気にせず

自分の声に耳を傾けるようにして

自分の声が少しづつ聞こえてきたら

その時初めて

自分と同じように

相手にも心の声があることが

ごく自然に想像できるはずです

自分の声を聴くということは

相手を甘やかしてあげなさいとか

もっとわがままになっていいんだよ

ということではありません

聞こえてきた自分の声が

相手のためになり

自分もまわりも傷つけないのなら

自分の思いを表現することを

ためらう必要はないわけです

そんな考え方が自然にできるようになれば

見える景色が変わってきます

そしてそれは

そのように意識しながら

毎日を過ごしていくだけですから

誰にでも簡単にできることです

そして少し積み重ねれば

少し積み重ねただけ景色が変わります

少しだけ相手が見えたら

その見えた少しだけの部分でいいので

今までと同じように相手に尽くしてみてください

自分の心が変わっただけ

その先にある相手の反応も

今までとは違う反応が

必ず見えると思うわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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