あれこれ考えて心が乱され 愛欲がはげしいのに 愛欲を浄らかだと見なす人には 愛執がますます増大する

あれこれ考えて心が乱され

愛欲がはげしいのに

愛欲を浄らかだと見なす人には

愛執がますます増大する

この人は実に束縛の絆を堅固ならしめる

中村元先生 訳(ウダーナヴァルガ)

仏教でいう愛は

一般的に理解されている愛と

少し意味合いが変わることが多いです

今回は自身の強い欲望とか執着

と、捉えて読んでみてください

一般的に苦という感情は

思うようにならないときに起きる感情です

しかし、その思うようにならないという

感情の元になる基準は

本当に正しいことではなく

自分が考えていることが正しいと

都合よく思っている場合が多いわけです

というより

正しい基準を元にして

世の中を見て、判断していれば

思うようにならなくて

苦が起きることはありません

どういうことかというと

例えばまわりから尊敬されたいという欲を

持っているとします

まわりから尊敬されるということは

常に「誰かと比べて」という評価基準になるので

まわりにいる人が

「どれぐらいの人物を知っているか」

に、よって変わってきます

ですから「もっとすごい人がいるよ」と

言われた時点で

尊敬されたいという欲望は

思うようにならなかったという苦や

情けないという苦に変わります

そして

尊敬されたいという欲が強ければ強いほど

どうしても尊敬してもらいやすい人と

交流しようとします

その人の成長という視点で見た場合

本当はもっとすごい人をたくさん知り

学び、吸収したほうがいいわけですが

学び吸収し、成長していこうという欲よりも

尊敬されたいという欲が勝っていると

尊敬されたいが一番になり

尊敬されたいという

愛執がますます増大し

成長から遠ざかり

尊敬されたいという欲望の

束縛の絆を堅固にしていくわけです

はじめに

思うようにならないという

感情の元になる基準は

本当に正しいことではなく

自分が考えていることが正しいと

都合よく思っていることを基準にしている

と書きましたが

この例で続けると

尊敬されたいという基準ではなく

学び成長していくという基準に変えれば

そのような人間関係を築くことができるし

真実の学びを積み重ねれば

自然と頭が下がる生き方にもつながり

本当の豊かさを知ることができるので

このような基準であれば

思うようにならないという苦が

そもそも起きることはない

ということになるわけであり

正しい基準を持つことを邪魔し

苦の原因になっているものが

欲に支配されとらわれている状態

ということなのです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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