いったん志を抱けば この志に向かって事が進捗するような手段のみをとり いやしくも弱気をはっしてはいけない

いったん志を抱けば

この志に向かって事が進捗するような手段のみをとり

いやしくも弱気をはっしてはいけない

たとえその目的が成就できなくても

その目的の道中で死ぬべきだ

竜馬がゆく 司馬遼太郎著(坂本龍馬)の言葉です

この言葉は

志とは「持つもの」と「見つけるもの」という

ふたつの側面があることを

教えてくれていると思います

そしてこの言葉は

志を持った者に対して伝えた言葉だということも

理解することができます

なぜならば

最後に「目的の道中で死ぬべきだ」と

ありますが

自分の志を見つけて生きている人なら

「べき」という決意ではなく

「本望」という素直な気持ちになるからです

ラッセル・クロウが主演した

映画「NOAH」に出てくるノアは

見つけた人ではなく、持った人だと思います

聞いたことがある人も多いと思いますが

映画「NOAH」の題材になった「ノアの方舟」の話は

「創世記」の5章から9章に書かれています

神の予言を受け取り、使命を持ったノアは

使命を忠実に遂行することに全力を尽くし

人間や、夫、父親というアイデンティティーより

使命者という思考を優先する

志とは岐路に立ったときの

行動の指針となるものでもありますが

俗に「大義と小義」と表現されるように

例えば父親か使命者かという岐路に立った時

使命者という道を選ぶということは

同時に父親という選択を否定することであり

また選択者は

常にその狭間で葛藤するわけです

志を持った人は、その志を持ち続けるために

様々な努力を必要としますが

岐路に立ったときの選択もそのひとつです

ノアのように

志を自分の中に見つけた人ではなく

持った人であれば

志に対する

強烈に絶大的な信頼がないかぎり

岐路の選択の判断が、正義・真実などという

そのとき、その場、その内容によって変化する

流動的な価値観を軸に考えてしまうので

信じた側の正義や真実が崩れた時

心は揺れ動き、選択について迷い後悔し

そもそもの使命すら疑ってしまう思考が

頭をよぎったりもするものです

また逆に

志を自分の心の中に見つけれた人は

岐路に立った時

自分がやりたいかどうか?で

迷うことなく選択することができます

ですが、その選択について後悔することはなくても

世間の批判や様々な逆風を受けると

「自分の志とはただのワガママなのか?」という

そもそもの部分で疑問を持ってしまうのも事実です

多くの人は「自分ごと」で忙しく

感謝を忘れ、自分の欲に力を集中し

「~がほしい」と思うことを習慣にしています

大きな志を追求することは

自分のことは自分で処理したうえでの話ですし

また心を強く持てないと

追求することは難しいわけですが

逆に言うと

人生を豊かにすることに比例するものです

志を追求するために力になってくれるもの

それは希望です

創世記では第一日目に、神は天と地を創造し

その次に光を創造し「良し」とされ

光と闇を分けたといわれます

ノアは最後に使命ではなく

希望を選択したと自分は理解しています

神の使命を遂行する志を背負い

その都度、選択に悩み苦しみ

最後に神の意志と、父としての志という

強烈な二つの志に挟まれても

希望(本望)を選択する弱さと

それ以上にそれを認める強さがあったからこそ

神はノアに使命を与えたのかも知れません

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

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広島市復興連携本部

今日もお読みいただきありがとうございました!

ご縁に感謝!

コメント

  1. 原田和宗 より:

    理解するのに時間が掛かりました。
    理解しようと考えてたらそのまま爆睡してこの時間になってしまいました(笑)。
    ここ最近では一番難解でした。

    私もまだまだ道半ばです。
    でも投げ出さないのは矢張り希望を持ってるからなんだと思いました。
    今日もおばあちゃん20~30人に囲まれて有意義な時間を過ごす事が出来ました。
    やっぱ、お婆ちゃんっ子だったのでそういうのが好きなんでしょうね。
    此れからも我が道を行きます。

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