この人はただ蟻の門人(弟子の人)と言うべきである 

男子が成長して

あるいは職人になったり

商人になったり、役人となって

ようやく親や朋友の

厄介になることから免れて

それ相応の衣食をして

他人に対する悪さもなく

借家でない自分の家を作り

家具はまだ揃っていないけど

嫁だけはまずとりあえずということで

望みの通りに若い女性を嫁にもらって

身の治まりもついて倹約を守り

子供はたくさん生まれたけれども

教育も一通りだけであったから

さほど金もいらなくて

病気など何かあったときのための

三十円か五十円の蓄えにはいつも差支えがなく

細く長くと心を配り

とにかく一軒の家を守る者があれば

自分も独立したと得意な顔をし

世の中の人も立派だと言い

人には過ぎた働きだとほめるけれど

実際のところ、それは大間違いというものである

この人はただ蟻の門人(弟子の人)と言うべきである

生涯の事は蟻の右に出ることができない

衣食を求めて家を作るということに関しては

額に汗を流したこともあるだろうし

胸に心配をかかえたこともあるだろう

昔の人の教えに恥じるところはないのだけれど

その成し得た功績を考えてみると

万物の霊長たる人の目的は達していないのである

なぜそのような生きかたをしている人が

蟻の弟子であるというのか

それはこのように書かれています

試しに見てみよ

禽獣昆虫は自分で自分の食べ物を

得ないものはいない

そればかりか

ひと時これを得て満足するばかりでもない

蟻などははるか彼方の未来を押し測り

穴を掘って住む所を作って

冬のために食糧を蓄えているのではないか

自分で生計を立て

家を建て、子を養い

何かの時のための蓄えもあり

家を守っていくことなど

昆虫でもやっている

それで胸を張れるのか?

ということを我々に問いかけているわけですが

みなさんはこの文章を

どのように味わいますか?

どのように味わうかはそれぞれですが

私は、俺はごめんだぜと

矢沢永吉さんの

アリよさらばが聞きたくなりました

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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