これでいいのだ

あなたの考えは全ての出来事

存在をあるがままに前向きに肯定し

受け入れることです

それによって人間は

重苦しい陰の世界から解放され

軽やかになり

また、時間は前後関係を断ち放たれて

その時その場が異様に明るく感じられます

この考えをあなたは

見事に一言で言い表しています

すなわち「これでいいのだ」と

故、赤塚不二夫さんの告別式で

タモリさんが読んだ弔辞の一部です

この弔辞は白紙だったそうですが・・・

それはさておき、この弔辞には

こんな文章もでてきます

あなたはすべての人を快く受け入れました

そのためにダマされたことも数々あります

金銭的にも大きな打撃を受けたこともあります

しかし、あなたから

後悔の言葉や相手を恨む言葉を

聞いたことはありません・・

自分も「これでいいのだ」

だから相手も「これでいいのだ」

このような言葉や生き方を聞くと

何かにグズグズとこだわる生き方が

とても小さく感じます

この世に生きる人間の中に

完璧な神などいないし

どんな人だって五十歩百歩です

だから生きているわけだし

だから人間をやってるんですよね

ちなみに五十歩百歩とは孟子の言葉で

飢饉にあった民を気遣うなど

よい政治をしているつもりだが

自分の国になぜ国民が増えないのか?と

王より相談された孟子が

ある兵が五十歩逃げました

またある兵は百歩逃げました

五十歩逃げた兵が

百歩逃げた兵を笑ったらどう思いますか?

と、例え話をし

五十歩も百歩も逃げたことに変わりはない、同じだ

と、答えた王に対し

農時に工役を課さなければ

民が収穫に苦しむことはない

目の細かい網で魚を取らなければ

稚魚は残り魚が尽きることはない

などといくつか例をあげ

いい政治をしていると思っているだけで

隣国とたいして変わらない

環境や不作などのせいにすることをやめ

王道をきちんと実践することに意識を向ければ

民は自然と集まってくるでしょうと

答えた故事によります

話がそれましたが

弔辞にもあるように

存在をあるがままに前向きに肯定することにより

重苦しい陰の世界から解放され

軽やかになるのであれば

「これでいいのだ」を実践してみればいいわけです

仮に実践してうまくいかないとしても

否定をする思考習慣を

自分の心の中で育まないだけでも

人生は変わってきます

だいたいの場合は

否定から生きにくさにつながるわけですから

先程の五十歩百歩の例ではないですが

否定することと

向上していくことは違います

自分を磨き向上することは

人生の充実につながりますから

「これでいいのだ」を前提にして

今の自分にはできないこと

未知の自分に挑戦すればいいと思います

自己否定から始まる努力は

今がイヤだから努力するという前提ですので

そもそもやりたくない努力です

ですので悲壮感や義務感が伴いますし

さらに達成できなければ

自己否定感を増やしてしまいますが

自己肯定から始まる努力は

もともと「これでいい」という気持が土台にあり

今がイヤなわけではないので

未知のことに挑戦する楽しさや

未来の自分に対する楽しみ感など

プラスアルファの努力です

ですので失敗しても

経験が増えた、世界の広さがわかったなどと

充実感や自分の成長を感じることができる

王がもし自己否定の王だったら

自分から意見を聞いたにもかかわらず

批判されたと

孟子を処分の対象にしたのではないでしょうか?

これでもいいのだが

さらに「これでいいのだ」と思いたい

その志があるゆえに

耳の痛い意見も求めるし

受け入れ行動しようとする

そういうことではないかと思います

自分もこれでいいのだ

他人もこれでいいのだ

これが全ての始まりなのではないでしょうか?

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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