たとえ一人になろうとも、全世界に立ち向かいたまえ

たとえ一人になろうとも、全世界に立ち向かいたまえ

世界から血走った眼で睨まれようとも

君は真っ向から世界を見すえるのだ

恐れてはならない

君の心に響く小さな声を信じたまえ

マハトマ・ガンディーの言葉です

世の多くの人は他人の目を気にし

他人の評価を気にしながら

生きているものです

それはそのように教育を受け

さまざまな影響を受けてきたわけですから

ある意味で仕方のないことであるわけです

そしてそれが悪いという気はありません

どのような人生を歩くかなど

全てその人の自由であり

そもそも私にとやかく言う権利などありません

私は最近

少し誤解を受けそうな表現になりますが

嫌われたいと思いながら生きています

嫌われるといっても

このブログをいつも読んでくださる皆様には

必要ない説明かも知れませんが

それは主語を「自分」にすることで嫌われる

ようするに「自分」が心地いいから

「自分」はこうしたい、「自分」にとって・・

などというような

未熟な人が選択する自分中心の思考や行動によって

その結果、嫌われるということではなく

主語を「まわり」もしくは「他人」にした

いわゆる利他の思考と行動を選択することによって

嫌われたいということであるわけです

世の多くの人は主語が「自分」です

そういう人たちにとっては

それが未熟などと書いてあるこの記事が

面白くないと感じるのは当たり前です

だからといって

そういう人たちはつまらない人間だという

気持ちは全くありません

そもそも自分もそうであるわけですし

今もそういう部分を持ち続け

生きているわけです

ただ私との違いは

自分の未熟さを認識しているかどうか

ということだけであり

そんなことは誰でも

知ろうと思えば理解できることであり

特別なことや優れたことでは全くないのです

私は前述したように

つまらないと感じる部分をたくさん持っています

そしてそういった部分を

卑下したり情けないと思ったり

自虐的に自分を責めたりするわけでなく

こういうところを持った人間なのだと

ただ単純にありのままを認めて生きています

言いかえるとそれは

自分は神や仏ではなくただの人間なのですから

当たり前のことであり

そして人間とは誰しも

そういうものであると思っているからです

ですから私は常に

謙虚さを持ちながら生きることができています

ですからどこかの人が

よくないことをしたといって非難をしたり

自分の正義を振りかざすこともありません

自分も同じ

「どうにもならんな」という部分を持った

人間だということをきちんと認識していますので

そもそも批判をする気にならないというか

自分もたくさんつまらないことをしてきたから

言える立場ではないというのが

正直なところであるわけです

世の多くの人はおかまいなしに

常に「自分なら」という言葉を主語にして

批判をしています

そういうのをみていると

ミスを一度もしたことがない

神や仏のような人間なのかなと思ったり

今まで自分のしてきたことを振り返るどころが

見ようともしてなくて

どんなことをしてきたということすら

すっかり覚えていない人の

どちらかであろうと思うわけです

ですので私が発信するということは

世の中は自分がしてきたことも忘れ

人の行為をためらいもなく

批判できる人が多いわけですから

それだけで嫌われるようなものであるわけです

そういうことで前述したように

嫌われたいと思いながら生きている

ということにつながるのですが

私は自分を含めたすべての人間は

醜い部分を持っているものだと思っています

自分を含め、すべての人間は

人に隠したいと思う醜い部分を

なにかしら持ちながら生きているもの

そしてそれは

あの人も自分も同じだという認識が

頭だけの理解ではなく

体感で理解でき習慣になってくると

自分も何かをやらかしたあの人も同じ人間で

全ての人間は一緒であり

そもそも人間とは

仮にいくらミスをしたくないと

頑張っていたとしても

ミスをするときはしてしまうようなものだと

思えるようになってくるわけです

そうなると、芸能人が何かしたと批判をしたり

特定の人に向かって

あいつはおかしいといじめたりすることや

自分の正しさと相手の正しさが

衝突することが避けることができない状態

いわゆる争いや戦争といったものまで

道徳の時間などで「いい人」という

わけのわからない価値観で洗脳しなくても

全て解決できると思っています

ようするにまわりに対する思いやりというのは

まず自分は醜さや弱さを持っていると認識し

そしてそういうところを責めたり

情けないと思ったりするのではなく

そういうところあるよなーとありのままに認識し

そしてまわりの人も

自分と同じように神や仏ではなく

そういうところを持っている

同じ人間なんだよなーと思うことができたとき

やっと入口に立っているものだと思うわけです

どのような川の水も

下へ下へと流れていけば

全て大きな海に達するわけです

上流へと向かおうとする生き方は

自然の法則に反しているものですが

多くの人はそれに気づいていません

自然の法則に逆らって

自らを上へと上げようとするため

誰かを批判して生きる選択を

しなければならないわけですが

その生き方では

自分を相手にして生きるのではなく

評価という世間を相手にして

生きることと同じことになり

思うように生きるのは難しくなるわけです

私もあなたも同じ海の水であり

同じ人間です

神や仏ではないゆえに下流に集まっている

同じ人間であり仲間であるわけであり

失敗も成功も同じ仲間がしているわけですから

自分も失敗や成功をする可能性を

同じように持っているわけです

その思考が体感に変わってくると

無理をせず自分も相手も

同じように大切にできるわけですが

その結果、多くの人に指をさされ

お前はおかしいと笑われ

間違っていることは間違っているものだと

批判され嫌われるのであれば

そんなの気にする方がおかしいと

思って生きているわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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この文章が何かの力になれば

この上ない喜びです

今日もお読みいただきありがとうございました!

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