なぜ人は答えを持つと奴隷になり 問いを持つと自由になるのか?

なぜ人は答えを持つと奴隷になり

問いを持つと自由になるのか

デール・カーネギーの言葉です

こうあるべき、こうでなくてはならないと

答えを決めてしまうと

たちまちその答えにとらわれてしまい

行動を制限され

奴隷になってしまいますが

この場合どうしたらいいのだろう?と

考える人は

こうあるべきがスタートではないので

答えや行動について

思考するにあたっては奴隷ではありません

こうでなくてはならない

こうあるべきが多い人ほど

自分のこうあるべきという見方に当てはめて

誰かの言動を聞いたり

行動を見たりしますので

心の自由度は少なく

心を乱されてしまう確率は

当然ですが増えてしまいます

冷静に考えてみると

そのようなこだわった思考で

自らの心を乱しているのですが

そのように考える多くの人は

心を乱された理由を

自分の固執した考えのせいにせず

相手の言動や行動がおかしいと思うものですから

永遠にそのループから抜け出せず

人間関係は窮屈なものだと感じてしまうのです

仏教の考え方に八正道というのがあります

その第一は正見といい

正しく見ることが心の寂静を得るためには

必要であると説きます

ようするにきちんとした知識というか

判断の骨子となる真理を知ることが

大事であるということですが

逆に言えば

智慧さえきちんと理解すれば

誰にでも心の寂静を得ることはできるわけです

世の中の争いの全ては

片方の正しさと、片方の正しさが

衝突したものです

相手の世界観を判断の材料にせず

自分の世界観のみで善悪を判断しようとすれば

そもそも絶対的な善悪などないうえに

自分だけの世界観だけで判断しているわけですから

冷静に判断できているとは言えません

こうあるべき、こうでなくてはならないという

善悪のような二極の答えではなく

この場合どうすればいいのか

という問いを持つことが

思考を柔軟にさせるわけですから

奴隷から自らを解放し

縛られた答えから問いを解放する

智慧のひとつだと思うわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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広島市復興連携本部

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