信じて投げて打たれるのはいい 信じて投げて打たれたのならそれは結果 

信じて投げて打たれるのはいい

信じて投げて打たれたのなら

それは結果

一番いけないのは

やる前から打たれたらどうしようと考えること

落合博満さんの言葉です

もっともな言葉だと思うのですが

今の資本主義、成果主義社会での結果とは

その都度、その時の評価ではなく

重要な価値をもつので

この言葉がもっともでない場合が多いわけです

資本主義、成果主義社会では

結果が重要視されるわけです

ですので私のような変わり者を除けば

自分を信じるより打ち取りたいわけです

もっと言うと

自分がどのような状態で

どのような人間であっても

打ち取れればそれでいいわけです

資本主義、成果主義社会であるから

文明や科学は発展してきたわけですが

主義にした時点で資本の大きさや結果が

人の価値を決める大きな条件になったわけです

資本主義、成果主義社会を言いかえれば

結果さえよければそれでいい社会ということです

決まった量の資産を

取り合いしているのが資本主義ですから

自分さえよければいい社会ということです

もちろんそのような人ばかりではありませんし

バランスがとれた豊かな人もいますが

奪った者でも合法的であれば

それは知恵やノウハウとしてして

評価されてしまう社会であるわけです

資本の大きさや物事の結果が

資本・成果主義社会で評価される

大きな条件であれば

生きるということに焦点をあてた場合

自分を信じるということは大きな条件です

自分の人生を生きるのに

自分を信じず、まわりを信じるということが

どういうことなのか?を

客観的に考えてみるとわかると思いますが

自分を信じる前に

まわりを信じてしまうような価値観や

結果がこわくて行動できない価値観って

少し行き過ぎだと思うし、必要ないと思いませんか?

もうこういう価値観だけを

「主義」とする時代は終わりを告げています

資本主義のおかげで

科学や文明は発達しましたが

発達した科学のおかげで

今ある職種の半分は

ロボットが担当する時代になるようです

ルーティンワークなど

いわゆる決まった作業などは

ほぼ人間の手を離れるようになるわけですね

結果も大事なことだけど

それだけじゃなく

人として大事なこともきちんと積み重ねる

そういう人がリバウンドで

脚光をあびる時代がやってきました

あの人は気配り上手なんだって

という感じの

あの人はこんな人だという内面的な表現が

あの人は年収○○万円という

表面的な情報と同じぐらい意味を持つ日

ようするに

どちらも同じぐらい素敵な人だ

という使い方になる日は

そう遠くはないようです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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この文章が何かの力になれば

この上ない喜びです

今日もお読みいただきありがとうございました!

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