全ては許すことから始まる なぜなら世界を癒すためには まず自分自身を癒さなければならないから

全ては許すことから始まる

なぜなら世界を癒すためには

まず自分自身を癒さなければならないから

マイケル・ジャクソンの言葉です

多くの人は許せない人が多いようです

それは自分のこともそうでしょうが

当然、他人のことも許せません

だから癒しと離れたところに

自分を連れて行ってしまうことになり

自分や自分のまわりを

癒せない人が多くなればなるほど

世界は癒せない世界に変わっていくわけです

人間は神や仏ではありません

そして己を神である、仏であるというような

高慢な思考の人は

そもそも神や仏では断じてありません

神や仏でない限り誰でも間違える

そして己も間違える

だけどそれが人間というものなのですが

そんな簡単なことを知ってか知らずか

多くの人は他人の失敗を楽しそうに語り

罰を与えよと叫ぶわけです

ひとりひとりが

そのように考えれば考えるほど

この世は癒しの世ではなく

憎しみや争いの世になっていきます

失敗をするものがいるから

うまくいくものが現れる

それが縁であり、世の法則です

例えばテストで

100人中1番になれたのは

他の99人がいるからなれるわけです

もしその中で

自分よりたくさんの知識を持っている人が

ひとりでもいたら

自分は1番になることはできなかったわけです

そして自分より

たくさんの知識を持っている人ばかりがいる

100人だったら

1番どころか

何番になれるかすらわからないわけです

1番になろうと努力しても

1番には確実になれないのも縁

だからといって

1番になろうと努力しなければ

1番になる可能性はどんどん遠のくのも縁であり

また偉大な結果には

必ず自身の積み重ねが陰にあるものです

ですが本人がそう努力をしなくても

結果につながることはあることだし

努力しても結果につながらないことも

世の中にはあることであり

それが縁というものですから

結果に結びついていないからその人は劣る

失敗したから間違っている人だ

ということにはならないわけです

ようするに結果とは

その一時期の結果であり

ただその時の結果でしかないわけです

その結果だけを見て

その人はおかしいとかよくないとか

批判するのであれば

その人の今までの全ての軌跡を

全体的に判断し批判しなければ

おかしな話になるものです

起きた出来事の一瞬だけを切り取り

その人の全てがおかしいとレッテルを貼る

その判断こそおかしいわけであり

その判断こそが

この世を住みにくいものにしている

ひとつの要因であるわけです

そしてもし自分が

普段の努力や思考を見てもらえず

一瞬の失敗だけを見てレッテルを貼られたら

どう感じるでしょうか?

もしそうなったとしても

相手が無明であるゆえのことだ

真理がわかればこの人たちも

こんなことは言わないはずだと思えるでしょうか

ひとつ確実に言えることは

どちらかが無明であるゆえだと思えると

負の連鎖を断つことはできるわけです

この世には狭義の善悪や正誤はありますが

絶対的な善悪や正誤などありません

絶対的な善悪や正誤があるとすれば

真理にのみあり

またその判断は人間ではなく

神や仏の領域にあるものです

無明であるゆえだと思い連鎖を断つ思考は

道を求める人には理解できることでしょうし

成熟してなければできない思考だ

ということもわかることだと思います

ですがその前にこのように考えるには

普段から己を許していない人には

そもそもできないことだと思うわけです

そう考えてみれば

己を許すということは癒しの原点であり

己を許せる人が増えれば増えるほど

この世から争いや憎しみが

どんどん少なくなっていくと思うわけです

ようするに

バカでいいじゃない、バカがいいんだよと

私のようにバカ道を歩くと

許すことはそんなに難しくないのでは

と、思うわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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この文章が何かの力になれば

この上ない喜びです

今日もお読みいただきありがとうございました!

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