善悪という対極

どうして心を扱っておられる方は、「あの事件」に触れられないのですか?

という

心笑亭杉のさんのブログを読んだので

よしゃあいいのに

書いてみようかなと思う 笑

ていうか、自分は先生のひとりではなく

しかも「かんこうれい」も知らないし

仮に出ていても

声がかからない側の人間であると

しっかりお伝えはしておきたい 笑

とりあえず

暴力で物事を解決しようとしても

なにも産みださないどころか

その影響は後々にまで続くし

また暴力も繰り返される

ウィキペディアによると

かの国?は

アメリカがフセイン政権を倒したときの

政権の中枢にいた人たちが

中核を担っていると聞く

だがそのウィキペディアの情報も

発信者によって内容も変わるかも知れず

情報操作など今の世は簡単だろうから

どこまで整合性があるのかわからない

善悪という意味で判断するなら

その元になったのは?その元になったのは?

と、遡っていくことが必要だし

それをやれば十字軍の遠征あたり

もしくはまだまだずっとそれ以前の

宗教の対立が始まった時代へと

遡らないとならないかも知れない

だから善悪の判断は難しいが

暴力でコントロールすることは

何も産み出さないのは事実

それに命を奪っていいはずなど全くないが

それを言うと日本を含む世界の国で

争いによって過去に血が流れたことのない国はあるのか?

と、やり返されそうだ

迷宮に入りそうだし

根本的なとこを追求するのは

そろそろやめて

この事件について

杉のさんのブログにあった

こんな時こそ、私たちがどんな「心のあり方」をすればいいか?

という「こんな時」について

私見を書いてみる

 

自分のスタンスは

「暴力は何も生み出さない」

だが目の前に緊急性のある暴力が迫ったら

不動明王のように悪しきものを打ち破り

サタンを退治したミカエルように

また最近だと

るろうに剣心、斎藤一の「悪・即・斬」だったり

黄門さまであったり

必殺仕事人であったりで

まあ、神様でもやるのだから

自分を守ることに

ためらう必要はないと思うが

神はいざ知らず

自分たちは、相手を100%悪だと言い切れるか?

ためらいなく斬れるのか?

という思いも同時にある

杉のさんのブログにもあったように

ひとつ正義が産まれるということは

同時に必ず悪もひとつ産みだすわけで

で、結論としては

自分ごととして考えるようにすれば

対極で悩む必要はないかな?ということ

つまり

もし明日暴力にあったとしても

悔いのないような日々を送るとか

仮に命を落としても

よく生きたと思える人生を

積み重ねるように考え生きるということ

人から見て残念だと思うことも

その人から見ると本望だったということなど

歴史を振り返ればいくらでもあるし

「人は命を落とすことが究極の残念」

という考え方に固執しなければ

自分がよければそれでよく

その時点で善悪や

他人がとやかく言うことではなくなる

明治維新の貢献者の中には

自分の命より

日本や志を重くみた人も多く

ひとつの命が

多くの人に志のバトンを渡し

維新の原動力につながったという

事実もあるわけで・・・

 IMG_0500

この事件の命がこれに該当する

と、言っているわけではなくて

いつ何時、そうなっても

悔いのないように選択し生きていくことが

結局、善悪も議論せず

自分の幸せにつながるのではないか?

ということ

例え誰かから「これが善だ」と言われても

その人の善と自分の幸せが

直結するばかりではないし

むしろ相反することが

多いかも知れないから

お互いが幸せを求めるのなら

自分も尊重し相手も尊重しないと

必ずどちらかが疲弊する

ひとつ正義が産まれると

必ず悪もひとつ産まれるからだ

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今日もお読みいただきありがとうございました!

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コメント

  1. 原田和宗 より:

    自分の正義を振りかざせば
    それと対局の人が
    別の正義を振りかざす。
    終わりの無い不毛な争いが起きてしまう。
    正義感なんて振り回すものではないと思いました。

  2. 心笑亭 杉の より:

    「よしゃあいいのに」……、笑

    確かに、そのとおりなんですよね。
    今、私たちが『悪』だと決めつけているそれらも、
    そちらから見れば『善』であり、こちら側が『悪』でしかなく。
    そして、それらは暴力では決して解決しない。

    だけど、この一連の出来事だけでなく、今この世におけるすべてのことが、そうやって、『善と悪』に振り分けられ、『悪』を絶対に排除しなければならないという流れの中で、人は、もっと違う『悪』を生み出しているような気がしてまりません。

    まだ私には、「命をかけてまで守るべきものが愛する家族以外に存在するのかどうか」は答えが見つかりません。そして、「結果、人々の役に立つ偉業を成し遂げた先人たち」が、今の世の中をどう見つめているのかもわかりません。

    だけど、ただ、今、ここに生きている自分は、それらを否定することも、でまた、到底そのような素晴らしい人間ではない自分を愛していきたいなあ、とひたすら思っています。

    • バサラ行者 より:

      杉のさん、コメントありがとうございます。

      ですよね。

      実際、政治のことはよくわからないので、書かなきゃよかったんでしょうけど
      政治の前に個人の考え方かなと思ったりもします。

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