喜びは自分を忘れる事にあるのよ

喜びは自分を忘れる事にあるのよ

アン・サリバンの言葉です

先日の記事孔子曰わく 君子に三畏あり

敬うもの、拠り所にするもののことを

書かせていただきましたが

イエス様でも釈尊でも偉大な先人でも

心の中に敬うものを持つということは

敬うものを心で思い念じている時は

少なくとも自分という「自我」はどこにもありませんので

同時に自分を捨てるということにもつながります

もし自我心のまま相手のことを考えることは

相手のことを考えているようで

実は自分のことを考えているのではないでしょうか

自分を捨てることができるから

自分発の考えも捨てることができ

自分に都合のいい解釈をして

出来事や人を見たり判断するのではなく

全てを「本当の」あるがままに

見ることができるわけです

また自分発で考えないということは

相手のことを自分と同じように考えることができる

ようするに

私と他人は二つではない

いわゆる自他不二にもつながると思うわけです

今日の言葉にある

喜びは自分を忘れる事にあるということは

私を忘れ、私を捨て去ったとき

いわゆる無我になったときに

喜びがあるということですが

私は凡夫は凡夫というありのままで

無我に向かって磨きながら

自分の見ているものは

本当のありのままではなく

凡夫である自分というフィルターを通して

見ている事実であるということを

常に忘れない者でありたいと思っています

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。