孔子曰わく 君子に三畏あり

孔子曰わく、君子に三畏あり

天命を畏れ、大人を畏れ、聖人の言を畏る

※孔子は言われた

立派な人には三つおそれているものがある

天命をおそれ、偉大な人をおそれ、聖人の言葉をおそれる

論語(孔子)の言葉です

人はそれぞれ目標や理想や欲望を持って

生きているものではないでしょうか

そして、自信を持つには

成功体験を積み重ねればいいと言われますが

目標や理想や欲望を達成していくことで

少しづつ自分の中に

自信が積み重なっていくことは

一つの側面ではないかと思います

そして自信が少し積み重なってくると

その自信を確信に変えていけるように

更に精進する

そのような歩みをしている

わたしもそのひとりです

自信を確信に変えるということは

言い方を変えると

間違いないと思えるようにということですが

面白いもので

「間違いない」と思えた時点で

確信を得ていない人を

攻撃する武器に変わってしまうことも

よくあることではないでしょうか

そうなるとせっかく積み重ねた「間違いない」が

「間違い」に変化してしまうわけです

それを防ぐには

やはり謙虚さをあわせ持つことではないでしょうか

謙虚さと言っても

それは自虐的な謙虚さではなく

もっと大きいもの

すなわち心の中に

敬い、拠り所となるものを持つことで

間違いないと思う自分より

まだまだ大きな存在があるという

思いを持たせてもらうということです

例えばある方は坂本龍馬を敬い

拠り所とされています

こんなとき龍馬ならどうするだろうか?

という問いかけを自らにできることが

ようするに拠り所であるというわけです

人は本来、弱い生き物ですので

もし心に敬うもの

拠り所となるものを持ってない人は

自分を敬い、自分を拠り所とします

何かを拠り所とせず

この厳しい世の中を渡っていくことは

なかなか大変なことですから

敬うもの、拠り所となるものを持ってない人は

ごく自然に自分を敬い

自分を拠り所とするしかないわけです

自分を拠り所にして生きていくと

その拠り所とする自分を確実なものにするため

また頼りがいのある自分にするため

正しい、間違いない、善であるという知識を

学び積み上げようとします

これについては全く問題ないのですが

ただ多くの場合、吸収している

正しさや善が真実や真理ではなく

自分なりの正しさや善である場合が多いわけです

その積み上げたものが

だんだんと「自分は間違いない」に変わります

そうなると「自分は間違いない」をもとにして

確信を得ていない人を攻撃する

怒りや武器へと変わるのも時間の問題です

そうなると独善的になってしまい

自分なりの正義と相手の正義がぶつかり

お互いが相手をコントロールしようとするわけです

敬うものや、拠り所とするものを持たない人は

自分を敬い、拠り所とします

敬い、拠り所になるものがなければ

人は強く在ることはできませんから

それは仕方のないことですが

拠り所になるものを持たなければ

己を敬い、他を見下す生き方に

なってしまうということです

現代社会では

相手をコントロールしようという意志の強い人ほど

あらゆる場面で成功したといわれることが多いですが

今、人の失敗に対して非常に厳しい社会であるのは

敬うものを持たず

自分を敬い、自分を拠り所とする人が

多いからではないでしょうか

私の場合の拠り所は

多くの偉大な先人の方々に教えていただいた

真理や道理や法であり

敬うものは

いわゆる「生き方」を追求した偉大な方々です

私は凡夫ですので

自分にとって都合のいい

正しさや善を学ぼうとします

そして自分もまんざらではないと

うぬぼれるわけですが

一方で自分には全くかなわない

偉大な存在が心に在り

己だけが正しく、善であり、間違いないという

思考を止めていただいています

そのように考えてみると

バカであると気づかせてもらえる

敬えるものに出会えることは

自分の歩みを止めず

人生を豊かにしてくれるもので

感謝以外のなにものでもないと思うわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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