小才は、縁に出会って縁に気づかず

小才は、縁に出会って縁に気づかず

中才は、縁に気づいて縁を活かさず

大才は袖触れ合う他生の縁もこれを活かす

柳生家家訓

釈尊がお覚りを得た内容は

縁起の法であったといわれます

今日は簡単に

縁起の法を説明してみたいと思います

「縁起」

この世にある存在は

全てが縁と原因によって現れたものである

そのように考えると

単体で成り立つものは何ひとつなく

縁と原因によって現れたものに「自立」などない

また単体で成り立っているものは

何ひとつないのだから

全ては依存しあっている

さらに、絶えず何かの影響を受け

変化しているものであり

全ての存在は確実ではなく

一時的であり無常です

ということです

このように考えてみると

自分はここに確かに存在しているが

はたして存在しているといえるのか?

また逆に、自分はいないとも

考えることができるが

確かに自分はここにいるとも

考えることができるわけです

例えば、私たちはみんな

父と母の間から産まれました

その父には当然、父母がいて

母にも当然父母がいます

そのようにしてどんどん遡ってみると

その数は無限というような数になっていきますが

その中の誰か一人でも欠ければ

現在の私はここにいません

また体について考えてみると

例えば頭には脳や眼や口などがあり

私という者が生存することを助けてくれていますが

脳は脳の働きがあり

眼は眼の働き、耳は耳の働きがあり

それらが集まって「私」となっているだけです

このような状態を仏教では

五蘊仮和合(ごうんけわごう)といいますが

こうして集まっているから私であるが

私というのは本当にあると言い切れるのか

私は父母の縁と行為(原因)によって

この世に生を受けたが

無数の縁と因という奇跡が重なり

私はたまたま産まれてきただけであって

私がいる!などど言い切っていいのか?

このように考える機会を

縁起の法は与えてくださいます

そのような奇跡の重なった

尊い存在があなたであり

またこの世にいる

生きとし生けるもの全てが同じなのだよ

だから傲慢になることなく

自分と全てを尊く思いなさい

そしてすべては縁と因によって起き

誰もそれを支配することはできないのだから

全ては過ぎ去っていくのだということを知り

今という一瞬を大切に生きなさい

そのようなメッセージを

遠い古から私たちに届けて下さるのが

釈尊がお覚りを得た縁起の法です

袖触れ合う他生の縁もこれを活かす

とありますが

他生(多生)とはこれまでに

たくさん生まれてきたということです

これまでにもいろんな縁と因という

奇跡が重なって

私たちはここにいるわけですから

与えられた奇跡を

丁寧に生きていきたいと思うわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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