平凡から非凡になるのは 努力さえすればある程度の所まで行けるが それから再び平凡に戻るのが難しい

平凡から非凡になるのは

努力さえすればある程度の所まで行けるが

それから再び平凡に戻るのが難しい

大西良慶さんの言葉です

このブログを読んでいる人は

道を追求することが好きな人であったり

また実際に道を追求している人でしょう

ちなみに道を追求する者とは

例えば茶道、書道、柔道など

「道」という字がつくものであったり

また学問や技術など各専門分野で

「プロ」を目指しているということで

どの道の上にいても

真理を求めて歩いている者という意味であり

どの道の途上にいても

慢心することなく、奢ることなく

謙虚に自らと向き合いながら

道を追求し続ける者ということです

ほとんどの人は面倒なことや理論など

小難しいことは好きじゃないものであり

道を追求していくことなど至っては

さらにどうでもいいわけです

道を求めるのであれば

己が関わる分野の修練を

積み重ねていくことは

避けて通ることはできないものです

そう考えてみると

追求することが好きで道を求める少なき人は

己の心が人生を豊かにする

ということを知っている人であり

幸せはどこにあるのかということを

知っている人であるわけですし

そしてそういう方なら

今日の言葉を理解していただけると思うわけです

平凡から非凡になる方法なら

世間によくあると思います

それがいわゆる

テクニック・ノウハウといわれるものです

ですがその先にある

再び平凡に戻れという思考は

成果主義の現代に溢れる

テクニック・ノウハウの中では

あまり聞いたことがないと思います

ひとつの道をある程度歩いていくと

折り返し地点ではないのですが

元に戻る道を歩くようになります

最初と違うのは

知っているか知らないか

ただその違いです

ですが知っていて

あえて初めに回帰していくことが

道を歩く者の特徴のひとつであり

回帰しようとしなければ

ただ、すごい人で終わってしまうわけです

すごい人とはようするに

たくさん知り、積み重ねてきた人です

ただ日々が楽しく過ごせたらいいという人に比べれば

それは素晴らしいことに違いありません

ただ道の上の人とは違うので

そういう意味ですごい人になろうと思えば

テクニック・ノウハウを積み上げるだけで

なることはできます

そしてその世界観では

平凡に戻る必要はないわけです

道とは円のようにつながっているものです

その道を歩くことにより

同時に自己の人格を高めていくことが

道を歩くということです

ある道について強い人とただ強い人

ある道について優れた人とただ優れた人

過程が全く違うのですが

至る境地は同じであることも多いわけです

葉隠という本の中にあるエピソードです

柳生宗矩のもとに、ある武士が訪ねてきて

剣の指南をお願いしました

柳生宗矩はその武士を見て

「相当な使い手とみるがどこで修行されたか?」

と尋ねましたが

「私は剣術など習ったことはありません」

と武士は答えます

柳生宗矩

「からかわないでいただきたい、自分の目にくるいはないはず」

と、再度その武士に向かって問いかけますが

その武士は

「本当に何も習っておりません」と答えます

それを聞いた柳生宗矩は

「あなたが嘘を言っているようには思えないし、本当なのでしょう。

何かはわかりませんが、いずれかの道の師範をされているのでは?」

と聞き返します

するとその武士が

「ひとつ習得したと思えることがあります。

年少のころより武士とは死を恐れてはならないものだと考え

今まで生きてきましたが

最近だんだんと覚悟ができてきたようで

それについて今では煩わされることはなくなりました」

(記憶で自分流に書いています)

命を大切にしなければならないが

同時に捨てれるようでなければならない

真逆であり、相反していますが

武士とはそういうものであり

そうでなければ戦場で働くことはできません

というより人間というものは

相反する間に身を置き

バランスをとりながら生きていくものです

難しいことを知っているが

自分はまだまだ愚者であると思うことに比べ

難しいことを知っているから自分は賢者だ

と、思うことは難しいことではありません

そして知識と人格は

関係ないわけではありませんが

そこまでつながってもいません

先ほどのエピソードで柳生宗矩は

剣の指南を願い出た武士に対して

「あなたに技は必要ない。あなたはすでに師範である」

と答えています

剣という道を通して

剣の強さも身につけながら

剣禅一如の道を歩き柳生宗矩が至った境地と

特にこれといって

ひとつのことに師事した経験はないが

「武士とは死を恐れてはならないもの」

という道を歩き続けた武士の至った境地は

技術を知っている、知らないという違いはあっても

同じものであったわけです

柳生宗矩は

人に勝つ道は知らず、我に勝つ道を知りたり

という言葉も残しています

人に勝って積み上げてきた自己肯定感

いわゆる自信は

自分以上の人物に出会った時点で崩れ去ります

ですが己に勝つことで積み上げてきた自己肯定感は

自分以上の人物に出会っても

他人との比較で積み上げたものではないので

揺らぐことはないものですし

また、揺らぐことがあっても

必ず希望につながっているものです

知識や技術はそれだけで

積み上げていくことができるものであり

人格は人格だけで

磨くことができるものでもあるわけです

ですが知識とは

それを用いる人格を磨いてこそのものです

まして最近では

知りたいことはパソコンで調べれば

いくらでも出てきます

知っている、できるということは

確かに積み重ねただけの値打ちを持ちますが

それだけでは我に勝ったとは言えないのです

道を歩くということは

知識や技術を積み重ねながら

その知識や技術を通して

人格を磨いていくものであり

我に勝つことであり

己の欲望や邪念などの感情にうち克つこと

いわゆる克己であるわけです

積み重ねてきた知識を持ったまま

できなかった頃の自分へと戻っていく

ようするに

自分は知識や技術を身につけたと

慢心して奢るのではなく

非凡から再び平凡に戻り

謙虚に積み重ねてきた己を見つめることで

「であるが、まだまだである」と

自信と謙虚さを併せ持ち

さらなる高みに向かって精進していくこと

それが求道者の歩く道であるわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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