幸福は能動的・主体的に、自分で感じとるものである

フロム※は現代の西欧社会がもつ自由と豊かさについて思索して、

「現代社会の過剰と倦怠」と表現した。

私たちはこれまで、

生産(物質)と消費(欲望)が次々と生み出される社会に生きてきた。

際限のない欲求や欲望を植えつけられて、

必要とするよりも多くのものを持っているのに、

これで十分だとは感じられないでいる。

商品の速度と量についていけないで、いつも貧しいと感じている。

食事についてダイエットを心掛けなくてはならないほどなのに、

いつも不足を感じている。

このような受動的な生き方からは、永久に幸せはみつけられない。

幸福は能動的・主体的に、自分で感じとるものである。

テレビのコマーシャルに左右されるだけのような生き方は、

人間の心を嫉妬、貪欲、無力感、劣等感で満たしてしまう。

食事をするにも、テレビを見るにも、家庭で会話をするにも、

しっかり自分の心で決める習慣を身につけなければ、

幸福にたどり着くことなどできるはずがないと、フロムも教えてくれている。

育てたように子は育つ 相田みつを書 佐々木正美著

文中にあるフロムとは↓

エーリヒ・フロム ウイキペディア

受動的な生き方とは言いかえてみると

環境や他人の責任にして出来事をとらえる

能動的・主体的ということは

自分の責任としてとらえるということです。

文章の中にもありますが

わたしたちは情報によって思考をつくられ

自分でも気が付かないうちに、

際限のない欲求や欲望を

植えつけられてしまっているのではないでしょうか。

環境や他人の責任にして出来事をとらえてしまうとは

そういうことだと思うのです。

今の社会では、必要とするものが手に入らないということを

あまり聞くことがありません。

ようするに、必要とするよりも処分するほど

多くのものを持っている人が多いと思うのですが、

それで、十分だとは感じられず

欲しい、欲しいという人がたくさんいるということが

そのことを証明していると思うのです。

幸福とは能動的・主体的に、自分で感じとるものであり

他人に指図されるものではありません。

また、我欲に支配され、我欲を満たそうと生きているから

そのような自分は、他人からどう見られているのだろうと思い

人の評価が気になってしまうわけです。

最初は、我欲はあってもいいのですが

我欲に対する「執着」を手放せば、

その欲が満たされないという苦を、手放すことができます。

人の評価は気にならない、また我欲を貫こうと生きない。

幸せとは、こういう生き方の中に、見えてくるものだと思うわけです。

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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