彼らこそ、取るに足らない地上のおもちゃのために、神の無上の贈物を放棄しているではないか

「先生が、ご自分で神を求めるために、またわれわれを導いてくださるために、

ご自分の財産や世の楽しみをすべて捨ててしまわれたことは、ほんとうに感嘆にたえません」

弟子の一人が帰りぎわに、この尊敬すべき聖者に賛嘆のまなざしを注ぎながら言った。

バドリ・マハサヤが自分の莫大な相続財産を、

すでに子供のころに放棄してヨガの道に入ったことは有名であった。

「お前の言うことはあべこべだ」

聖者は穏やかな顔つきで弟子の間違いを指摘した。

「わたしは、永遠の至福に満ちた大宇宙を手に入れるために、取るに足らないわずかなルピーとつまらぬ快楽を捨てただけだ。わたしは何も、自分の欲望を押さえ付けたわけではない。おかげでわたしは、天の財宝の分け前を楽しんでいる。それがどうして犠牲といえよう。目先のものしか見ない世間の人のほうが、かえって多くのものを犠牲にしているのだ。彼らこそ、取るに足らない地上のおもちゃのために、神の無上の贈物を放棄しているではないか」

私は、犠牲ということに対するこの逆説的な見方、

そして、人から施しを受けている聖者を大富豪と見、

高慢な大金持ちをあわれな無意識の犠牲者と断じたおもしろさに、

またくすくすと笑ってしまった。

あるヨギの自叙伝 パラマハンサ・ヨガナンダ著

自分の財産や世の楽しみに夢中で仕方がなく

永遠の至福に満ちた大宇宙を知らず、

目先のものしか見ない愚か者であり、

快楽にとらわれて、かえって多くのものを犠牲にし、

神の無上の贈物を放棄した

快楽という欲に支配された愚かな人間とは

他でもないこのわたしです。

そして、快楽を追求する愚かなわたしには、

その愚かさに相応しい人と、

愚かなわたしに相応しい環境が用意されているわけですが

皆さんを取り巻く環境はいかがでしょうか?

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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