悦びがなんであるかは、元来、多くの苦しみを耐え忍んできた人のみが知っている

悦びがなんであるかは

元来、多くの苦しみを耐え忍んできた人のみが

知っている

その他の人たちは

真の悦びとは似ても似つかない

単なる快楽を知っているにすぎない

ヒルティの言葉です

心の器の大きさの幅を決めるのは

喜びや悲しみなどの感情も大いに関係します

例えば悲しみの経験値が100で

喜びの経験値が100だとしたら

それがそのまま境界線になり

その100から100の中で

判断したり思考出来ることであれば

物事に対してバランスをとることができ

楽に生きることができます

例えばそれが、イヤな事から逃げることが

習慣になっている人の場合

イヤな事から逃げるわけですから

チャレンジしうまくいかなかったことから得る

悲しみの経験値は少なくなります

例えば悲しみの経験値が20だとして

21の悲しみが起きた場合は

心の器の容量を越えてしまうので

心を囚われてしまうわけですが

ひょっとするとそれは

30の経験、40~の経験をした人からすると

すでに経験済みであることかもしれないわけです

ようするに悲しみや喜びなど全ての経験は

物事を受け止める心の器を大きくするので

経験が増えれば増えるほど

心の器、すなわち受け止められる物事が増え

それ以降はストレスも軽減されるわけです

そう考えてみると

喜びはいくらでも求めていくことはできますが

悲しみを自ら求めていこうとは

あまり思わないものですから

悲しみの経験がたくさんある人ほど

器を大きくすることについてはとても有利で

心の境界線も大きくなるということです

ある地点から一歩も動いたことがない人は

動かない理由を考える習慣ができてますので

右にも左にも行かないでしょうが

ある地点から右に100キロ走った経験があれば

ある地点に戻って左を見渡し

特に何も見えなければ

左にも100キロ走ることは

可能ではないか?と思えるものです

そして右に100キロ走っただけで

左に100キロ走ったことのない人や

何かの思いなどで左に走ろうとしていない人は

右の100キロしか知りませんから

走らない自分、知らない自分を正当化するため

右がいいのだと執着し、やがて左を攻撃するようになります

ようするに、物事の公平な判断をし

バランスを取って生きるには

白だけでは足りないのです

白も知り、その対極にある黒も知らないと

白と相反する黒を受け入れることができなくなり

受け入れることができないから

黒を責めるしかなくなり

最後は利己的な判断をし

公平に物事を判断することができなくなるわけです

例えば白が100黒が20の場合は

振り幅は120

白が100、黒が100の場合だと

両方で振り幅は200になりますので

世の中は何が起こるか分からないと考えた場合

120に比べれば、200の方が

バランスを取りやすくなるのは自然なことです

言い変えると、黒グループの人については

20人までしか受け入れることができないが

白グループは100人まで

合計120人受け入れることができる場合と

双方100人ずつ受け入れることができる

という違いです

人ではなく

「こんな癖がある人」とか「こんな思考を持っている人」に

置き換えてみてもいいと思いますが

受け入れる幅が広ければ広いほど

イラッとしたりムカッとしたりイライラしたりと

心を乱される状況は少なくなるわけです

その振り幅を増やすことが経験を増やすこと

経験をもっと厳密に言えば

自ら考え自らの意思で選択した経験を増やすことです

やらされた経験と自ら選択し判断した経験は

どちらが多くの経験を得れるかは

誰でもわかるはずです

若い頃の苦労は買ってでもしろとは言いますが

そうは言っても

イヤな経験は誰でもしたくはありません

ですが今日の言葉にもあるように

多くの苦しみを耐え忍んできた人のみが

本当の悦びを知る権利があるわけですから

そう考えてみると

今まで苦労してきたなと思える人は

真の悦びを知るところまで

すでに来ているということです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇

土砂災害の
ボランティア情報はこちらまで↓↓

広島市復興連携本部

今日もお読みいただきありがとうございました!

ご縁に感謝!

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。