我が側に袒裼裸裎すといえども、汝焉んぞ能く我を汚さんや

我が側(かたわら)に

袒裼裸裎(たんせきらてい)すといえども

汝焉んぞ能く我を汚さんや

孟子 公孫丑章句の言葉です

あなたが私の側で裸になるような

侮辱するような態度(袒裼裸裎)をとったとしても

それはあなたが

無礼な態度をとったという事実だけが残り

私を汚すことはできない

というような意味です

もう少し噛み砕いて説明してみると

私は他の人の侮辱に影響を受け

汚されてしまうような

つまらない心を持っていない

それゆえに侮辱されても

ただ相手が無礼な態度をとったという

事実だけが残り

侮辱をするようなつまらない人間だと

評価されてしまうのはむしろ相手である

というわけであり

侮辱されたぐらいで

腹を立ててしまうようでは

そもそも優れた人物とは言えない

ということです

何かあれば

他人の責任にしてしまう思考と

全く正反対の考え方ですが

私を汚すことができるのは

私だけであるという考え方は

凛として孤高です

釈尊も自分に対する悪口を受け取らなかった

という記事を先日書きましたが

真理に通達していない人々は  自分と他人と両者の治療を行っている人のことを  「かれは愚人だ」と考える

陰口や噂、誹謗をされても

全く心は動かされず

そもそもそれは

言っている人の評価が下がるだけであり

侮辱することによって

心が汚れている私なのだという証明を

自分でしているつまらない人だと

考えれる生き方は

器の大きな

かっこいい生き方だと思うわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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