教養ある人間は他の人格を尊重し したがって常に寛大で柔和で腰が低いものである

教養ある人間は他の人格を尊重し

したがって常に寛大で柔和で

腰が低いものである

アントン・チェーホフの言葉です

他の人格を尊重できるということは

己の人格を尊重できるということです

己と他の人格が尊重できるということは

当然、寛大になれるわけで

寛大であれば怒る必要もなく

自然と柔和で腰が低くなるわけです

今日の言葉にある教養とは

精神的な教養のことですが

今日の言葉にある

教養がある人になるためには

まずは自分を尊重することから

はじめることが必要になるわけです

いいところも気に入らないところも

自分のありのままを、ただ認める

気に入らないところは特に

責めたり卑屈にならず

ただただ認め尊重する

そうすることで

自分も気に入らないところがあるのだから

まわりの人にもあって当然だということになり

自分にもバカなところはあるのだから

当然、他人にもあるという思考につながり

結局は同じ人間ではないかと思えるようになると

それが慈愛へとつながり

他の人格を自然に尊重することができ

寛大になる道へとつながっていくわけですが

自分も気にいらないことはなおす

だから君もなおしなさいなら

百歩譲って良しとしても

自分の過去の失敗は棚に上げ

人の失敗だけを責めるようなことでは

慈愛への道にはつながらないわけです

そもそも絶対的な善悪など

この世にはありません

あるのは自分が思う善であり

自分の意見では善であり

自分の価値観では善であるということだけです

またその時はそう思ったとしても

時間が経ち評価が変わることは

よくあることですので

そもそも絶対的な善悪などないわけです

ですので自分が思うだけの善や悪に

こだわり過ぎたり

善はいいが悪は修正しなければ

という思考にとらわれてしまうと

寛大にたどり着くことは永遠にないわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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この文章が何かの力になれば

この上ない喜びです

今日もお読みいただきありがとうございました!

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