毎日をあたかもこの世の最後の日のように生き 穏やかでまじめでしかも運命に無関心でない これこそ道徳的に完成した人間である

毎日をあたかも

この世の最後の日のように生き

穏やかで真面目でしかも運命に無関心でない

これこそ道徳的に完成した人間である

マルクス・アウレリウスの言葉です

このブログをいつも読んでいる方は

今日の言葉にあるような

生き方をしている方と

このようになろうと積み重ねながら

生きている方ばかりではないかと思いますが

自分の感覚ですが

今日の言葉にあるような目的地を見据え

歩いている人は全体の数%もいません

ほとんどの人はお金、名誉など

己の欲を見据えて歩いている人たちか

穏やかさや感謝なども

生きるには必要だと思ってはいるが

それがメインテーマではなく

視界の多くを占めているのは

己の欲である人がほとんどです

仏教では、教えだけはあるが

悟りを得る人がいない時期のことを

末法といいます

現在はそういう意味では末法であるわけです

欲があるのは人間ですから当たり前です

だからといって自分、自分では

まずいわけです

よく聞く言葉に

自分の思うように生きたらいい

という言葉があります

この言葉は間違いではありませんが

未熟な人がこの言葉をそのまま受け取ると

勘違いしてしまい

ただのわがままな人になってしまいます

このブログの読者さんには

釈尊に説法だと思いますが

自分らしく生きることと

他人に対する心配りは両輪であり

己の欲が強くなればなるほど

己しか見えなくなり

他人への心配りは減っていくものです

ですがそれは

そういう人がおかしいわけではなく

欲に支配されているということが

苦しみの原因となっているわけであり

俗にいう、酒は飲んでも飲まれるな

または、お金は使うものであり

お金に使われてはいけない

というようなことであるわけです

今日の言葉は

欲というステージを越えた人がいる場所です

この世の最後の日のように生きるとは

悔いのない一日を過ごすことあるわけですが

人が一番喜びを感じるのは

やはり、あなたに会えてよかった

あなたのおかげです、感謝しますと

あるがままの自分が

誰かの助けとなったときではないでしょうか

今日が最後の日であれば

できるだけ多くの人の力になりたいと

私などは思うわけですし

そのように毎日生きていきたいと思うわけです

穏やかで真面目でしかも運命に無関心でないとは

欲が満たされたから

穏やかで真面目でいれるのではなく

欲に支配されることがなくなるから

心に余裕ができ

穏やかで真面目でいれるということです

それでいて運命に無関心でない

もう穏やかだからと安穏とするわけでもなく

自らが役に立つこと

志について無関心でないというわけです

末法であればあるほど

このように生きている

また生きようとしている人は

素晴らしく貴重な存在です

まわりが闇であればあるほど

光は存在感を増し

またまわりが光であればあるほど

闇が存在感を増すものです

今日の言葉は

求道者の方に向けた言葉ですし

求道者の方にしか真に理解できない言葉ですが

道を求めて歩き

自らの思う場所に到達できないとしても

目指して歩く背中を見せるだけでも

もうすでに利他の存在だと思うわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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