求道者とは 金剛般若経

師(釈尊)はこのように話し出された

スブーティよ

ここに求道者の道に向かう者は

次のような心を起こさなければならない

すなわち、スブーティよ

およそ生きものの仲間に含められるかぎりの

生きとし生けるもの

卵から生まれたもの

母胎から生まれたもの

湿気から生まれたもの

他から生まれず自ら生れ出たもの

形のあるもの、形のないもの

表象作用のあるもの、表象作用のないもの

表象作用があるでもなく無いでもないもの

その他、生きものの仲間として考えられるかぎり

考えられた生きとし生けるものども

それらのありとあらゆるものを

わたしは悩みのない永遠の平安という境地に

導き入れなければならない

しかし、このように、無数の生きとし生けるものを

永遠の平安に導き入れても

実は誰ひとりとして永遠の平安に

導き入れられたものはない、と

それは なぜかというと、スブーティよ

もしも求道者が生きているものという思いを

おこさすとすれば

もはやかれは求道者と言われないからだ

それはなぜかというと、スブーティよ

誰でも自我という思いをおこしたり

生きているものという思いや

個体という思いや

個人という思いなどをおこしたりするものは

もはや求道者とは言われないからだ

金剛般若経 中村元訳

食事を終えられた釈尊は

1250人の修行僧を前にして

師よ、求道者の道に向かう立派な若者や立派な娘は

どのように生活し、どのように行動し

どのように心を保ったらよいのですか?

というスブーティ尊者の問いかけをきっかけに

金剛般若経ははじまります

スブーティとは漢訳では須菩提といわれ

釈尊の十大弟子のおひとりです

この場合の求道者とは覚りを目指す者

ようするに菩薩という意味です

菩薩とはボーディサットヴァ(覚りを求める者)という

サンスクリット語に菩提薩埵(ぼだいさった)と

漢字をあてたものです

ちなみに菩薩修行の道には

52の段階があるといわれており

52段階目の妙覚を越えることができれば

如来(仏陀)になれるといわれています

ですので有名な

観音、弥勒、文殊菩薩などの諸菩薩は

まだ菩薩道を求道している途中であるわけです

わたしは問いかけにあるように

若者でもなく

また立派な者でもありませんが

多少、自分を放り投げることができてきました

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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