物質的・身体的安楽を必要としなければしないほど自由になれる

物質的・身体的安楽を

必要としなければしないほど自由になれる

仕事とか家とか、 車とか、エゴとか

自分が執着しているものによって

牢屋に閉じ込められるのです

そういうものを手放せば牢屋から出られます

アーニー・J・ゼリンスキーの言葉です

多くの人は今日の言葉と逆で

手放すのではなく

何かを手に入れようと生きています

世の法則は諸行無常です

無常とは常では無いということ

この世の全てのものは

常に変化していて

何一つとして同一性を保つものはないわけです

それをもう少し突っ込んで言うと

この世の全てのものは

常に変化しているわけですから

この世で誰かに起きたことは

全て自分にも起きることであり

自分に起きたことは

どこかの誰かにも起きるという可能性は

多いにあるということです

そうは言いつつも

人間とは弱いものですから

自分の○○だけはどうか変化しないでほしい

と、つい考えてしまうわけです

例えば人は病気になるものだ

と理解はしていても

自分だけは病気になりたくないと思うわけです

で、いろいろ気を付けて

病気になるまいと努力するわけですが

気を付けていてもなるときはなるし

不摂生でもならない人はならないわけです

そもそも人間は

病気になる可能性を持っているわけですから

いつどんな病気になるかなどわからないのですが

自分が病気になったとき

「なぜ自分だけ」と考えたりもするわけです

だからといって

そんなの無駄なことなのであきらめろとか

何もするなということではありません

また準備をすることが

よくないというわけではなく

とらわれてしまうことが問題であるわけです

そのように考えてしまうことをエゴといいます

ようするに自我のことです

今日の言葉の中に

執着し、牢に閉じ込められてしまうものに

車や仕事、家やエゴとありますが

この中で執着が激しいのはエゴであり

一番払拭しにくいのがエゴであるわけです

とはいったものの

全ての人間はエゴの塊です

全てと言うと少し語弊がありますが

ほとんどの人間はエゴという

自我の塊であるわけです

だから例えばエゴの世界の人には

正しい正しくないという価値観が

必要になるわけです

エゴの世界の正しい正しくないとは

ようするにどちらのエゴに軍配を上げるかという

判断基準であり

エゴの世界で生きていくために

その場のおさまりをよくする

苦肉の策であるわけです

その反面、エゴの世界の住人でない

エゴの少ない人や、とらわれていない人は

そのように考えません

エゴの少ない人は両方正しい

もしくは両方間違っていると考えます

というより

そもそも相対的な正誤や善悪など

考えても意味のないことだしあまり考えません

そもそも同じエゴなのですから

片方のエゴは肯定するが

片方のエゴは否定する

という論法に無理があるわけです

エゴの世界の人からみれば

生きるということは

ようするにエゴとエゴの

ぶつかり合いであるわけです

そして人間関係とは疲弊するものである

という哲学が主流であるわけです

その反面、エゴの世界の住人でない

エゴの少ない人や、とらわれていない人たちが

生きるということは

感謝であり、助け合いであり、共尊共生であり

全ての人は己と同じであり

そして人間関係は人生を豊かにしてくれるもの

という哲学が主流です

ですが世の中の多くはエゴの人ですので

エゴの少ない人や、とらわれていない人たちも

エゴの世界の人と日々付き合っているわけです

同じエゴの世界の住人と付き合っていて

どうして穏やかで、人生が豊かであると

思えるのかというと

それは斜め上からものを見て

自分たちは君たちと違うのだという思考を

持っているからではなく

こちら側の自我というエゴを

少なくすれば少なくするほど

自分と他人との境目

いわゆる境界がなくなっていくことを

知っているからです

己という自我、エゴに執着すればするほど

当然のことですが他人との距離は離れます

己という自我、エゴを創れば創るほど

当然のことですが

自分と他人を分ける溝は深まるわけです

その状態で

人間関係は人生を豊かにしてくれるものである

などと、考えることなど誰にもできませんし

その状態であれば不遜な言葉ですが

神や仏でも無理でしょう

エゴの世界の人はこうして

己の中から日々エゴを生み続け

他人と自分を隔てるエゴという壁を創りながら

その一方で

人間関係とは疲弊するものである

などと言っているわけです

そしてその積み上げたエゴを守るということが

自分を守るということにつながるわけですから

エゴの世界の正しい正しくない

などという基準を用いて

誰かと戦い、誰かを落とし

今日は自分が誰かに落とされたりしながら

生きているわけです

ですがそれは個人の能力の問題ではなく

ただ世の理(ことわり)を知らない

または真理を知らないというだけであり

知れば誰でも理解できるものであるわけです

もう賢明な方はお気づきでしょうが

人間関係とは疲弊するものである

という哲学をなくす唯一の方法は

己のエゴをいかに少なくするか

またはエゴを持っていても執着しない

ということであり

そのような人が増えれば増えるほど

確実にエゴとエゴの摩擦は

この世から少なくなっていくわけです

この世にあるいじめや争いなどは

全て個人や国家、または思想という

エゴのぶつかり合いです

相手に負けたくないから

さらに相手よりエゴを大きくするぞ

などと考えているうちは

それより大きな力が現れた時点で

入れ代わるわけですから

決して争いはなくなりませんし

いくら道徳をやったり

いくら法で規制したってなくなるわけがないのです

また、自分のまわりから

エゴによる争いをなくさない限り

そもそも大きな争いもなくなりません

心が豊かで穏やかであり

争いもなくし、お互いを尊重し

お互いを慈しむ関係を自然に構築するには

自分というエゴがあっても

エゴに執着しないことであり

また相手にも自分と同じように

エゴがあるのだと理解し

またいくら執着したところで

永遠に変わらないものはこの世にないのだ

ということを理解し

今に集中し

その今を共に生きれることに感謝しながら

日々を積み重ねていくことであるわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇

この文章が何かの力になれば

この上ない喜びです

今日もお読みいただきありがとうございました!

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。