臆病は残酷性の母である

 臆病は残酷性の母である

 ミシェル・ド・モンテーニュの言葉です

自分を守るために他を攻撃することは

誰でもやることですが

臆病な人ほど

自分を守ることに必死になり

自分を守るということだけに対し

盲目的に行動しようとするので

臆病さに比例して攻撃も激しくなり

その残酷性が増すということです

臆病な人ほど

世間の目や人の評価が怖いものでしょうが

では、その臆病さの根源は何だろう?と

考えてみると

自立できてないということでは?

と思うわけです↓↓

わたしにとって最高の勝利は ありのままで生きられるようになったこと

自分の心と頭で考え判断し

自分の足で人生を歩いていれば

当然、いいこともあり

つらいこともあるわけですが

その積み重ねた経験は他人の経験ではなく

自分の経験として蓄積されていくので

誰かから聞いて

ただ知識として知っているということではなく

自分で体感し知っていることが増えれば

臆病さは少しずつ減ってきます

臆病さや不安な気持ちとは

そもそも「本当に」知らないということが

スタートになっているのではないでしょうか?

例えば、聞いただけでは「ホントかな」と

思ってしまうことも

自分で体感していれば「間違いない」になるわけです

「疑念」が「信念」に変われば

臆病さや不安感が出てくることはありませんが

自分の足で人生を歩いてない

いわゆる自立していないということは

たとえ本を読み、誰かの話を聞き

たくさんの知識を蓄積したとしても

自分で判断、行動し経験を積むという

いわゆる検証ができていないので

ホントかな?という疑念や不安を

信念に変えることができず

常に不安や臆病な気持ちを抱えたまま

生きていかなければならない側面も出てきます

物の豊かさを求める時代の教育は

個性より正確さ、均一さでした

誰がつくっても同じものができるよう

大衆を教育する必要があったからです

ゆえに答えを教え

答えを覚えたものが優秀だとされ

個性や個性的な思考は必要なかったわけです

そんな教育が「考えない人」を

たくさんつくったのだと思いますが↓↓

答えのない世界で生きたことがない世代は・・

人生とは答えを聞いて歩くものでなく

自分で判断し行動し探していくものです

物の豊かさを追い求める時代から

精神的な価値観を求める時代に

変化した現在では尚更ですが

答えを聞く生き方だけではなく

自分で答えを探す生き方もできれば

強い心になることができ

何か起きたとしても

心のバランスは取りやすくなり

自分にも他人にも豊かな人生に

近づいていけるのではないでしょうか?

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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広島市復興連携本部

今日もお読みいただきありがとうございました!

ご縁に感謝!

コメント

  1. 原田和宗 より:

    疑念が信念に変わるのは自分が体感しているということなのですね。
    とすれば、いくら本を読みあさったりセミナージプシーの様に
    いろんな話を聞きまくっていたとしても
    自分で行動していなければいつまで経っても本当の意味で
    自分のものにはならないっていうことなのでしょう。
    私も含めてですが、物事の考えが浅はかな人っていうのは
    まだまだ経験が足りていないっていうことなのかも知れませんね。
    今後もいろいろなことを自分で考え自分でチャレンジして
    自分で修正していきたいと思っています。
    いつもありがとうございます。

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