賢者の信は 内は賢にして外は愚なり 愚禿が心は 内は愚にして外は賢なり

賢者の信は

内は賢にして外は愚なり

愚禿が心は

内は愚にして外は賢なり

親鸞聖人の言葉です

賢者は愚かなように見えるが

実は賢明である

私は外は賢明をよそおっているが

実は愚か者である

というような意味です

人が成長していくためには

謙虚さが必要です

謙虚ではなく慢心を友にすると

成長は止まってしまうものです

ですが謙虚さと自虐は違います

今までの自分を認めたうえで

まだまだだと道を求めて精進することが

謙虚ということです

愚禿というのは親鸞聖人が

自らをへりくだってつけられたものですが

賢者と比べると自分はまだまだであり

自分は凡夫であると

その場所に自分の身を置き

凡夫が救われるにはどうすればいいかを

追求されました

人から良く見てもらいたいという思いから

内面と外面が違う人は多くいます

それは自分も同じで

自分は愚か者であるということを

頭ではわかっていても

行動や言動が

そのようにできていないことが多々あります

己の愚かさをよくよく理解し

また、そんな自分でも

生かされていることに感謝し

慢心することなく精進し

道を求めていかなければと思うわけです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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この上ない喜びです

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