(煩悩の魔)軍を撃破して、苦悩なく、望むことなく行う人々 かれらこそ聖者である

(学生)ナンダさんがたずねた

世間には諸々の聖者がいる、と世人は語る

それはどうしてですか?

世人は知識をもっている人を聖者と呼ぶのですか?

あるいは(簡素な)生活を送る人を聖者と呼ぶのですか?

(ブッダが答えた)

ナンダよ

世のなかで真理に達した人たちは

(哲学的)見解によっても

伝承の学問によっても

知識によっても聖者とは言わない

(煩悩の魔)軍を撃破して

苦悩なく望むことなく行う人々

かれらこそ聖者である、とわたしは言う

ナンダさんがいった

おおよそこれらの<道の人>・バラモンたちは

(哲学的)見解によって

また伝承の学問によっても

清浄になれるとも言います

先生!かれらはそれにもとずいて

みずから制して修行しているのですが

はたして生と老衰とを乗り越えたのでしょうか?

師(ブッダ)は答えた

ナンダよ

これらの<道の人>バラモンたちはすべて

(哲学的)見解によって清浄になり

また伝承の学問によっても清浄になると説く

戒律や誓いを守ることによっても清浄になると説く

(そのほか)種々のしかたで清浄になるとも説く

たといかれらがそれらにもとづいて

みずから制して行っていても

生と老衰とを乗り越えたのではない、とわたしは言う

ナンダさんがいった

およそこれらの<道の人>バラモンたちは

見解によって、また伝承の学問によっても

清浄になれると言います

戒律や誓いを守ることによっても

清浄になれると言います

(そのほか)種々のしかたで清浄になれるとも言います

聖者さま

もしあなたがかれらは未だ

煩悩の激流を乗り越えていない

と言われるのでしたら

では神々と人間の世界のうちで

生と老衰を乗り越えた人は誰なのですか?

親愛なる先生!あなたにおたずねします

それをわたくしに説いてください

師(ブッダ)は答えた

ナンダよ

わたしはすべての道の人・バラモンたちが

生と老衰とに覆われていると説くのではない

この世において見解や伝承の学問や

戒律や誓いをすっかり捨て

また種々のしかたをもすっかり捨てて

妄執をよく究め明かして

心に汚れのない人々

かれらは実に

煩悩の激流を乗り越えた人々である

と、わたしは説くのである

中村元先生訳 スッタニパータ

聖者の流れというものがります

四向四果、四双八輩などといい

預流向 よるこう   預流果 よるか

一来向 いちらいこう 一来果 いちらいか

不還向 ふげんこう  不還果 ふげんか

応供向 おうぐこう  応供果 おうぐか

に分かれます

言い方はいくつかあり

またそれぞれの言葉の説明は

ここでは省きますが

これで四向四果といわれます

私は以前より

大きな川がありその川を渡って

向こう岸にいかなければならない

と言っているのですが

川を渡るということが

預流向に入るということであり

ようするに預流向に入ることができれば

聖者の流れに入ったということになります

預流向に至ることができると・・・

おめでとうございます!

もう二度と聖者の流れから

離れることはないと言われています

煩悩は智慧で破ることができます

妄執をよく究め明かすということは

知恵ではなく智慧を学ぶということであり

その智慧によって捨てれるわけです

煩悩を捨てることが少しづつできはじめた人

また、捨てていくことの尊さが

理解できはじめてきた人

また煩悩に向き合うということは

感じている苦を自分の外側の責任にしない

ということであり

自らに問いかけ

己の人生を他人の責任にしないことに

つながるわけですが

その考え方や

その法の正しさを確かめながら

生きていける人

そんな人が聖者の流れに入った人です

聖者の流れに入ることがなぜいいのか?

などは確認するまでもありませんが

それは煩悩に向き合う習慣ができることによって

煩悩とうまく付き合うことができるようになり

その結果、苦を滅することができ

豊かで穏やかで

幸せな人生へとつながっていくからです

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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