いま我々が ふだん自分を正常人だと思っているのは 自分の狂っている程度が測れないほど 狂っているだけの話で 本当の意味の正気の沙汰でいるわけではありません

われわれは普通

よっぽど被害妄想でもして

やにわに人を切りつけたりでもしないかぎりは

気狂いとはされず

正常人とみなされているわけですが

このわれわれが正常人であるということは

実はとてもアヤシイのではないですか?

ちょっとしたことでも

すぐに業の思いにふりまわされて

カッとノボセあがったり

情痴に狂ったり、ねたんだり、企んだり

金や地位がバカに有難がったり

みんなオカシイんだと思うのです

それをオカシイと思わず

正常だと思っているのは

結局グループ呆けなんですよ

あんたもそうなら、私もそう

人間だから多少煩悩があるのは仕方ないでしょ

と、安心している

まったく人間なのだから

どこまでいっても煩悩はなくならないでしょうが

「あんたもそうなら、わたしもそう」

というのでグループ呆けして

(自分は)正常だと思っているのは

正気の沙汰でないことは事実です

我々ナマ身のからだで

煩悩があるのは仕方ないにしても

しかしこれは少なくとも多少狂っている

正気の沙汰じゃないということだけは

知っておきたいものです

そうでないと

本当に狂ってしまうことになるからです

いま我々が

ふだん自分を正常人だと思っているのは

自分の狂っている程度が測れないほど

狂っているだけの話で

本当の意味の正気の沙汰で

いるわけではありません

宗教とは

まずこの自分が狂っているなと

知るところからはじまらねばなりません

もし自分が狂っているなとわかれば

それだけ正気をとり戻したことなのだからです

だからごらんなさい

親鸞聖人はよく

自分を極重の悪人凡夫だといわれておりますが

これはけっして親鸞聖人が本当に我々より

特別ひどい悪人凡夫だったからと

いうのではありません

むしろ我々とは比べものにならない

清らかな聖人であられたことは

間違いないのですが

それよりも親鸞聖人のモノサシが

それほど澄んだ

「正気の沙汰のモノサシ」であったからです

それで自分をいかにも

極悪人のようにいわれているのです

我々ときたら

親鸞上人とはむろん比較にならぬ

悪人凡夫なのだけれど

それほど思っていないどころか

おれは善人、正常人だと思っている

それほど我々のモノサシは

「モノサシぐるみ狂っている」わけです

内山興正老師の言葉です

内山老子は曹洞宗のご高名な僧侶ですが

浄土真宗の宗祖、親鸞聖人を例にあげて

お話しくださっています

みなさんはこれを読んでどう思われますか

自分のことを極重の悪人凡夫だと心から思え

また、世の中の多くの人は

モノサシぐるみ狂っていると心から思えますか?

まあ、多勢に無勢ですので

そういうお前が狂っていると

一笑されて終わりでしょうが

そう思える方がいましたら

是非ご一緒にコーヒーでも飲みたいものです

そして私は狂っている人に笑われながら

本当のバカにはならない

バカ道を貫きたいと思います

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇■□◆◇

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。