サンユッタ・ニカーヤ 第四章 サトゥッラパ群神

私はこのように聞いた。

ある時尊師は、サーヴァッティー市のジェータ林

(孤独なる人々に食を給する長者)の園に住しておられた。

そのとき多くのサトゥラッパ群神たちは、

夜が明けてから、容色うるわしく、ジェータ林を遍く照らして、尊師のもとにおもむいた。

近づいてから、尊師に挨拶して、傍らに立った。

傍らに立った或る神は、尊師のもとで次の詩をとなえた。

「ただ善き人々と共に居れ。ただ善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知って、ひとは、より良きものとなる。より悪きものとはならない。」

ついで、他の或る神は、尊師のもとで次の詩をとなえた。

「ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知るならば、智慧が得られる。そうでなければ、得られない。」

ついで、他の或る神が、尊師のもとで次の詩をとなえた。

「ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知ったなら、憂いのさ中にあっても憂えない。」

ついで、他の或る神が、尊師のもとで次の詩をとなえた。

「ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知ったならば、親族の間で輝く。」

ついで、他の或る神が、尊師のもとで次の詩をとなえた。

「ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知ったならば、人々は良い境地におもむく。」

ついで、他の或る神が、尊師のもとで次の詩をとなえた。

「ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知ったならば、人々はいつまでも安立するであろう。」

ついで、他の或る神が、尊師に向って次のように言った。

「尊師さま。みごとにとなえられたのは、だれの詩でしょうか?」

尊師いわく、

「そなたらは、すべて、順次みごとに詩をとなえた。しかし、わたしの詩にも耳を傾けよ。

ただ善き人々と共に居れ。 善き人々とだけ交われ。

善き人々の正しい理法を知ったならば、すべての苦しみから脱れる」と。

サンユッタ・ニカーヤ 中村元先生訳

第一節 善き人々と共に

釈尊は苦を滅する方法を求めて出家されました。

それは四門出遊(しもんしゅつゆう)という

故事として伝えられています。

ようするに釈尊は

苦を滅する専門家であり、苦を滅するプロなのです。

苦というものを

ありとあらゆる角度から見て判断し

対策を講じているわけですが

その中のひとつに

幸せをどう定義するか、本当の幸せとは何か

というものがあります。

一般的に考える幸せとは、

健康や財産、地位や不自由のない生活などです。

しかし、健康や財産、名誉などを

全て手にすることはまれで、

仮に全てを手にしたとしても、それはいつ無くなるかわからないものだし、

無くならなかったとしても、死はいつか必ずやってきます。

そして死はやってきますが、

財産や健康などで永遠の命を手にすることはできず、

そしてその事実は、この世の全ての人間が同じです。

逆に考えてみると

死を前にすると全て吹っ飛んでしまうような

健康や財産、地位や不自由のない生活などは

本当の幸せではないわけです。

本当の幸せとは、いつも心穏やかに生き

死を前にしても揺るがない自尊感情のことです。

もう少しかみ砕いて言うと

死を前にして、死にたくないと思うのではなく

いい人生でした、ありがとうと

快く旅立つことができるよという生き方が、日々できているか?

それが偽りの幸せではない、

本当の幸せにつながっている生き方です。

そういう生き方ができている人が

健康や財産などを手にするのであれば

それに執着することなく生きていけますから

さらに素晴らしいことですが

凡夫の私たちは、大事なことを後回しにして

苦の元になるものを、先に求めて生きてしまう。

だからみんな人生が苦しいわけです。

こちらはもう更新しておりません。

興味がある方はこちらへどうぞ。

侍人(さむらいびと)生死について探究する者たち

人生の選択はひとつではなく無限にあります

ひとつのことにこだわらず

選択の幅を増やすことは

人生を豊かに生きる

助けになると思っています

あなたの志は何ですか?

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